ピリオドの気配 どうにも附に落ちない。 現場で逮捕された被疑者は、自らが殺ったと自白しているもののどうも可笑しかった。自白と現場の一致はなく、けれど脅されている訳でもないようで、思い込まされているような様子が見えた。 上層部からの命令は起訴。納得などいくはずもなく、響也は現場を覗く。 成歩堂の言葉がチクチクと刺さりはしたが、元より信念を曲げるつもりなどない。 それでも、彼に理解して貰いたいと願うのは、我が侭なのだろうか。掌で弄ばれているような、適わないと思う感覚が少しばかり疎ましかった。 ぐるりと現場を見回し、やはり違和感を感じて首を捻っていれば見慣れたパーカーがのこのこと現場を横切ってきた。 ハァと大きな溜息が出る。 「此処、一般人立入禁止だよ。」 ケロリと笑う成歩堂は、想像通りの言い訳を口にする。 「茜ちゃんに頼んだら、喜んで通してしてくれたよ。」 「………刑事くんには、一度キチンと言っておく必要があるね。」 ふうと息を吐いて、成歩堂を見ると感慨深そうに辺りを見回している。 「懐かしいねぇ、こうして足跡とか遺留品とか探してみたもんだ。」 好き勝手に現場を弄ろうとする不審者に、警察官が飛んでくる。その度毎に、響也は事情を説明し成歩堂を窘める。そんな事を数回続けているうちに、流石に響也も切れた。 「一体アンタは何をしに来ているんだよ!!」 いい加減にしろと告げる響也に、成歩堂は頭を掻いた。 「ごめん、ごめん。何だか懐かしくて、邪魔してたわけじゃないんだよ?」 困った表情で様子を伺う成歩堂に、響也も語尾も緩くなる。 「…なら、いいけど。何でも、触っていいとかじゃないからね、だから何をしに来たんだよ。」 「売り込み、かな?」 ニコリと笑う成歩堂に響也は目を瞬かせる。 「うちの事務所には優秀な弁護士がいるから、お仕事がないかなぁ〜なんて思ってね。」 うっと息を飲むと、響也は眉を潜めた。 「この事件の弁護人が決まってないの、何で知ってるのさ。」 「教えて貰った。あ、その人の名は秘密だよ、守秘義務は検事さんならご存知だよね?」 大方、彼の親友であるウチの上層に聞いたに違いないと思いつつ、響也は言葉にはしない。口にしたところで、軽くいなされてしまうのは分かり切っていたからだ。 「可愛い娘の給食費にも是非必要だと思わない?」 「…。」 成歩堂がもう一押しする前に、響也はポケットに忍ばせていた依頼状を取り出した。 「…アンタって人は…。近頃の弁護士事務所は客引きまでするのかい?」 「生憎とウチは(なんでも事務所)だから、なんでもするんだよ。」 楚々くさと封書をしまい込み、悪びれた様子もなく成歩堂はニコニコと笑った。 その様子に、響也は大きく息を吐いた。意図的に成歩堂から目を反らし、もう一度肺から空気を吐き出す。 上司から話を聞いたのならば、響也が事件に対して不審を持っている事もわかっているのだろう。ならば、事件現場での検証を終えたのちに何処へ行こうとしていたのか目の前で笑っている男には丸分かりだ。 ぐっと奥歯を噛んでやり過ごす気分は、やはり悔しいに近い感覚だった。 (及ばない、この男には)そんな思いが湧けば首は自然と横に振られていた。 優秀な対峙者がいてこそ、真実を知る熱いギグは盛り上がる。そう響也が思っている事を知らないはずもない。何故なら、王泥喜への期待を教えてくれたのは成歩堂だ。法廷に立ち、そこで感じ学んだ事を響也に伝えてくれたのが彼で、『僕は今は役に立たないからね』と笑ったのも又、成歩堂だった。 だからこそ、彼を法廷に立てなくしてしまった自分自身を響也は未だに許す事が出来ない。冤罪を憎むという言葉に代えて伝えるのは、成歩堂自身が響也の謝罪を(そして。彼の罪そのものを)有り得ないと否定するからだった。 そんな事実を今思い返してどうすると言うのだ。響也は改めて首を横に振り、溜息の代わりに言葉を吐き出した。 「…後で事務所には行くつもりだったんだ。」 下がってしまいそうになる顔をなんとか成歩堂に向け、ぼそりと呟く響也に成歩堂は僅かに目を見開いた。そうして、口角がやんわりと上がる。 「擦れ違わなくて良かったよ。勿論、事務所には王泥喜君もみぬきもいるんだけどね。」 (用があるのは僕でなくてもいいんじゃない?)と、嘯いて成歩堂は微笑んだ。スキンシップのつもりの、軽い挑発。 「別に、そんなこと…。」 語尾を濁して、響也は視線は斜め下に向く。 長く伸びた前髪がパサリと顔を隠してしまうから、成歩堂の目には僅かに頬が赤らんでいるとしか映らない。『逢いたい』という四文字を口にすることが出来ず、羞恥に頬を染める様子は、成人を過ぎた男というより年端もいかない少年のような反応で、成歩堂にとっては酷く可愛らしかった。 熱くなっているだろう頬に触れ、そして照れた表情を拝みたい欲求が湧き、しかし此処が彼の職場であることを考えて押さえ込む。 牙琉響也が仕事に対して真面目なのは良くわかっていた。人目も憚らずにセクハラをかませば(勿論成歩堂自身はセクハラだなんて思ってはいない。ちょっと親密なスキンシップだと思っている)、音信不通に成りかねない。 悶々と考えていた成歩堂を知ってか知らずか、響也はふいに顔を上げた。目尻を赤く染めて、成歩堂と目が合えば微かに瞳を揺らす。 「今朝、あんな風に別れたから気になってた、し。」 告げてくる内容も可愛い事この上ない。 困ったなぁと成歩堂は思う。意図的ではないにしろ、なんでこう煽るような言動なのだろうか。ついつい、填ってしまうじゃないか。 被っていた帽子を片手でくしゃりと潰して、成歩堂は熱くなった目尻を隠した。揶揄するつもりが自分の方が照れてしまう。 「うん、僕もだよ。」 「…わざわざ来てくれて…ありがと…。」 「でも、事務所で待ってた方が良かったかな。みぬきが仕事に出る時には、王泥喜君が送ってくれてそのまま帰宅するから、ゆっくり逢えたね。」 ハハハと軽く笑った成歩堂のパーカーがぐいと引っ張られれば、僅かに眉を寄せた響也の顔は間近だ。 「いいよ、行っても。アンタが待っててくれるんなら。」 朝の仲違いはいっそ幻覚だったのではなかろうかと思い始めた成歩堂は、大いに頬を緩ませた。 そして、言葉を紡ごうとしただろう響也の唇が止まる。 ワンテンポ遅れて、微かな音楽が聞こえだした。 『ラブラブ・ギルティ』 わかってしまう自分にも苦笑しつつ、公用の着信に自らのヒット曲を宛うのが、如何にも響也らしいと成歩堂は思う。バイブレーションによって、曲より先に気付いていたらしい響也は、取り出した青い携帯を見て、あと声を上げた。 成歩堂も見慣れない携帯に、おやと首を傾げる。 「違う、違う。」 そんな言葉を呟き携帯をポケットに戻すと、今度は見慣れた携帯を取り出す。 響也が普段使っている携帯は銀色だ。バンドのロゴが彫り込まれた特製のフォルムは、持つ指を飾るリングにも似て、日常の電器製品というよりもアクセサリーの類に見える。 聞き耳を立てていれば、会話の内容は仕事上のものらしかった。 「さっきの青いの何?」 興味に駆られて問えば、響也は不機嫌そうに唇を歪める。 「…買ったんだ。」 「どうしてまた。持ち物もシンプルに、君のポリシーだったんじゃないの?」 必要なものしか持ちたくない。そして、その持ち物には拘るのが響也のポリシーらしい。考えてみれば、成歩堂とは対極をいくのではないだろうか? 成歩堂の声に、響也の顔は益々不機嫌に傾く。それでも、美人は美人なので成歩堂は全く気にはならない。 ニコニコと笑っている成歩堂に、柳眉を曲げて響也は口を開いた。 「公用と私用の番号を分けろって上の命令でね。だけど、契約している携帯会社がそのサービスをしてなくて、仕方なく買い足した。」 携帯の契約ひとつとっても(元)芸能人として制約はかかるらしくそう簡単には変更出来ないと愚痴る相手に、不自由なものだねと成歩堂は笑った。 ポケットに仕舞う前に、成歩堂はそれをさらった。両手で持って見れば、本当の新品で傷ひとつ無かった。艶々としたクリアな青が鮮やかだ。 自分が使用している写真も撮れない古い携帯に不満がある訳ではないが、こうして見れば新品もいいなぁと思うのが人情ではないだろうか。 「僕もそろそろ買い直したいね。」 そう言うと、響也はクスリと笑った。(気に入ってるくせに)と呟いてから続ける。 「お嬢さんの給食費に困らなくなったら、買い直しにつき合ってあげるよ。」 「君が選んでくれれば喜んで使うよ。この青、良い色だよね、僕こういう色好きなんだ。」 そう呟いてから、あれと響也を見れば再び赤面していた。 「ひょっとして、これ選んだの…。」 「僕、オフィスに戻らなきゃいけないから。」 慌てた口調で、事務官から面倒な理由で呼び戻された旨を捲し立てると成歩堂から携帯を取り上げた。ピカピカの携帯がポケットに仕舞われるのを何だか惜しいと感じながら、KEEP OUTの黄色い帯を潜っていく響也を眺める。 側にいた警察官と会話を交わして、足早に入り口に向かう。 そう言えば、大きなバイクが置いてあった気がする。成歩堂がぼんやりと顎髭を弄んでいれば、携帯が鳴った。薄暗いディスプレイには見慣れない番号だったが、特に躊躇わずに着信を押す。 なんとなく、予感があった。 『あの成歩堂さん、夜の事だけど…。』 響也の声に再び頬が緩む。平気だと言えば、見えないはずの相手が笑ったのが見えた気がした。電話越しの吐息とか、なかなか良いと思う。 『…この携帯、電話をしたのは成歩堂さんが最初なんだ。』 「嬉しいよ。」 『まだ、誰にも教えてない。』 「公用なのにいいのかい?」 我ながら、意地の悪い質問だ。成歩堂はくくっと喉を鳴らした。 『意地悪を言うなら、現場に弁護士さんが来たら追い返すように言い直そうか?』 それは困るねと、成歩堂はあっさりと降参する。現場を見ないで向かう裁判など、どう考えても恐ろしすぎるだろう。 自分の現職時代と違って、穏やかで協力的な検事さんの好意を無にすれば、後々王泥喜の怒りを買うに違いない。 「助かるよ。」 『待っている、から』 切れた通話が余韻として残った。待つと告げた響也が、今夜の事を言っているのではないと知っていた。裁判所で、法廷で。 僕は、貴方がそこに立つのを(待っている) 「検事側の求愛は熱烈だ。」 帽子を深く被り直し、成歩堂はホッと息を吐いた。その愛に応える為にもしなければならない事がある。作業を終えた鑑識の人間が撤収をしている間を縫って、成歩堂も黄色い帯を跨いだ。 ビヨンと揺れたテープがピシャリと成歩堂の尻を打つ。 先程響也と話をしていた警官が、見ぬふりをしながら笑いをかみ殺すのが見えた。彼の向かい側に立つ警官は、それでも正面を向いていたせいか真面目な顔を崩さない。 眉間に深く皺を寄せて成歩堂を睨む。 おお怖…。 部外者に冷たいのが公僕だろう。さっさと退散しようとした成歩堂の腕を、しかしぐっと握り引き留めた者がいた。 ガシャンと派手にガラスの音が響き、彼女は額にサングラスを持ち上げる。 「やっと終わったんで、飲みに行きましょうか。」 にっこりと笑う茜に、そうだったと思い出す。現場に入れて貰う為、彼女と約束を交わしたんだった。大概彼女の奢りなので、普段なら大歓迎だが、生憎と今夜は響也と約束がある。 天秤は大きく傾いていた。 「それなんだけど、王泥喜君に話したい事があるし今夜は「not much of a problem」」 茜は鮮やかに笑う。 「だろうと思って、みぬきちゃん達も呼んどきましたから!」 如何にも気の利いた事をしたと顔を輝かせる茜と愛娘の名に、無敗を誇る成歩堂も折れるしかない事に苦笑した。 〜To Be Continued
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